“競技者イコール日本代表”の時代から東京2020大会、そして2022年の最新作まで数多くのユニフォームが発表されてきた。ここでは、20年にわたる苦闘と栄光の記憶とリンクする、歴代ユニフォームを紹介したい。
日本代表が初めて世界を肌で感じた<2002>
2002年に韓国・ソウルで行われた「2002国際視覚障害者サッカートーナメント」で着用。このユニフォームで日本は初めて南米のチーム、ブラジルと対戦した。それから20年。「世界最強軍団と呼ばれるブラジルだが、当時からすごく強かった!」と証言するのは、現在も日本代表選手である黒田(旧姓:田中)智成。大会が開催された11月のソウルは寒く、ユニフォームも長袖だった。初代理事長の釜本美佐子が女性の世界的奉仕団体である、国際ソロプチミスト東京けやきの協力を得て作製した。
世界選手権デビューを飾った<2005-2007>
当時、ブラインドサッカー日本代表の活動費は原則自己負担だったため、ナイキ(2005年)、アディダス(2006年)、アシックス(2007年)とさまざまなメーカーのユニフォームを着用してきた。いずれも、ボディには“ジャパンブルー”を採用し、両サイドが白で体をすっきりと見せるデザイン。
2006年のアディダスモデルは、日本代表が初めて世界選手権(アルゼンチンのブエノスアイレス)のピッチに立ったときに着用した記念すべき一着だ。
パラリンピック出場の夢を追いかけた<2010-2011>
アジアから世界への階段を上がる日本代表のユニフォームは、前回と比べてシンプルなデザインに。2012年のロンドンパラリンピック出場を目指したが、“引き分ければパラリンピック”という状況でイランに敗れている。涙のシーンとともに印象に残った一枚だ。
注目度の高まりとともにスポットライトを浴びた<2013-2015>
サッカー日本代表と同様にブラインドサッカーでもアディダスが定着。ベースも変わらず、ブルーを基調としたデザインとなっている。2014年に製作された長袖モデルは、その年の11月に東京・渋谷で行われた世界選手権や、2016年のドイツ遠征など寒い時期に活躍。最後の長袖タイプとなった。
2015年モデルは、長袖モデルとほぼ変わらないが、ナンバーのデザインに変更があった。このモデルは2016年のリオパラリンピックを目指したアジア選手権で着用したユニフォームで、歴代ユニフォームのなかでも多くのメディアを飾った。
歴史的な舞台で翻った<2017-2021>
2017年からアディダスジャパンがサプライヤーとなり、障がい者7競技団体統一ユニフォームが完成。前面に襷(たすき)がプリントされた2017年モデルは、ブラインドサッカー男女日本代表がそれぞれ着用した。
おなじみカモフラージュ(迷彩)柄のユニフォームは、男女オリンピック代表と同じデザイン。性別や年齢、障がいの有無などの違いを超えて人々が絆を深め合うスポーツの価値を伝えることを目指す。東京2020パラリンピックでは、これを着たサッカーファミリーが一体となってテレビの前で応援した。
新たな時代を築く<2022>
パリ2024パラリンピックを目指す新星・日本代表は、障がい者7競技団体統一ユニフォームの第三弾で新しい船出。ドイツ・ベルリンで開催された「Blindenfreunde Cup」で優勝し、中川英治監督新体制で初めてのタイトルを手にした。
ユニフォームのコンセプトは、ダイバーシティ&インクルージョン。細かな色の重なり合いによって障がいの有無に関わらず混ざり合う共生社会を表現している。前回と比べて着丈が短く、生地も軽量になったことで機能性も高まり、選手に人気のモデルだ。